今回のお出かけ日記について
今回はお出かけ日記という場所ですが、あくまでも一つの歴史への追悼と残ったものへの考察です。
また、3年以上前のことも出てきますがお許しください。
あと、あくまでも個人の感想ですので、間違っている点があればtwitter等でお気軽に教えてください。事実に近づけるように修正します。
(ここでの名金線は今は亡き不動寺~福光のことです)
では行きましょう。
名金線編
福光までの名金線にサヨナラを
名金線、それは自分たちの家族に深くかかわっている路線です。自分の祖父母宅は福光周辺にありますので、昔からよく乗っていました。また、私の祖母は名金線のライバルとなっていた加越能バスの車掌をしていたので、加越能バスの名金線乗り入れバスの車掌として金沢まで勤務していたことがありました。(ここで注意、バスに車掌が乗っているということから時代を考えてみましょう。そう最近の話ではないです。)
最近はJRバスの時間が使いにくかったことから恥ずかしながら加越能バスを利用してものの、廃止がわかってからはよく利用していました。
乗り始めたのはまだ金沢地区のバスが更新される前でしょうか...中乗り前降りではなく後乗り前降りの時代です(たしか)。12年くらい前から乗っていたわけなので、あんまり最近は乗っていなかったとはいえ非常に昔から利用していました。当時は鉄道で一人で行くことが許可されていなかったのでバス一択でした。そこで好きなバスに乗って一時間かけておじいちゃんおばあちゃん家まで遊びに行く。それは何とも言葉にし難いくらいの興奮がありました。ただ、今となっては昔話。加越能バス南砺~金沢線の繁栄と反比例するかのように衰退していきました。
苦しいことですが、必然でした。安くて便数も多く速く着ける。どうやってこれに勝ることができたでしょうか。よくよく考えてみれば、近年の名金線衰退の歴史は金沢と南砺市を結ぶ役割としての国道304号線の斜陽化の歴史でもありました。
さて、ここで県道27号線(石川県道・富山県道27号金沢井波線)と国道304号線のお話です。昔の県道27号線といえば細くて通りにくいが金沢の若松と福光を結ぶ最短ルートという印象でした。幼少期の話ですが、荒山大橋ができる工事を下の道から見ていた覚えがあります。ただ、いつもここではなく、時々国道304号線を通ることもありました。今思えば、冬季などで通行止めだったんだろうなと思います。次にあったのは清水田島トンネル開通です。これの開通の約2年後に加越能バスが県道27号線経由のバスを走らせ始めました(この後1年間JRバスとの名金線区間での共同運航は続いたそうですが)。昔は南砺~金沢線は閑古鳥が鳴くくらい人が乗っていませんでした。しかし、最近になって乗車する人の数は増え続け、ついには夕方の南砺市方面のバスで約15人ほどが福光駅で確認できるほどになりました。
では、名金線側のお話です。南砺~金沢線が開業してからも名金線の乗客はいました。しかし、時々乗ったり見たりするにつれ減っていった気がします。最後に金沢から乗った時は不動寺より前で全員が降りてしまったくらいです。(ここは個人の記憶なのでそこまで信用しないでもいいです)朝も多くの人が利用していたと聞きましたが、ついにはこんな結末になりました。
さよなら、名金急行線の生き残りのJRバス福光駅行き
— coai (@coai12900KF) 2022年6月30日
幼い時に乗ったなあ…
再掲ですが載せます
いつまでも忘れない pic.twitter.com/CXUEVUegBk
幼い時によく名金線に乗っておじいちゃんおばあちゃん家まで行ってました
— coai (@coai12900KF) 2022年6月30日
幼い時の思い出の中でずっと走り続けています
自分と祖父母を結んでくれていたバスでした!
これまでこ運航してくださりありがとうございました!
(祖母も車掌として乗っていたことがありました)
さようなら、ありがとう! https://t.co/DCFLSm3Vm2
では、何が両者の結末を分けたのか。それは名金線が森本経由だったことで、金沢福光間での時間や価格競争に敗れてしまい、森本福光間というニッチな需要がなかったことだと思います。
国道304号線を通ることで所要時間的にも不利になるため、なかなか逆転は不可能だったと思います。
ただし、この中で一回も出てきていないものがあります。そう、コロナです。
名金線のほうはJAPAN RAIL PASSが使えたため、インバウンド需要があればifになりますが、残っていたかもしれません。(あくまでもIFですが...)
北鉄バス25系統、16系統
駒帰編(16系統)
では、短いですが駒帰まで乗った話をします。
結論を言います。廃止寸前に乗りに行きましたが、東部車庫より先は確かだれも乗っていませんでした。
歴史はあったかもしれませんが、需要がなくなってしまっていると感じました。しかし、あそこまで誰も乗っていないバスを残せた北陸鉄道グループの力を感じました。
小原編(25系統)
16系統決定的な違いがあります。この便は末端区間まで利用者がいたからです。
朝と昼の2往復がありましたが、朝に小原行きに乗った時はそりゃあそうだという話ですが、北陸学院大学より先はだれも乗っていなかったはずです。しかし、帰りのバスに乗っていたおばあさんに話を聞いたところ「昔ここに来た時からずっと朝のバスで金沢に行き、お昼のバスで戻ってきた。昔はもっと便数があったが、今ではこの2便だけ。」といっていました。すごく昔からだったそうです。運転士さんとも仲良く話をしておられました。また、別所あたりから乗ってきたおばあさんも同じような感じでした。これを聞いて、インフラの大事さと維持の難しさを感じました。
一応ですが、2ステップバスが最後まで残ったはずの区間がここです。(よくわからないが)
廃止されたより後のことはわかりません(きっと代替コミュニティバスを利用していらっしゃると思われます)。しかし、どうなっているのかがすごく心残りです。
信ぴょう性に欠けますが、一応小原からは昔どんな便数だったかを書いておきます。(数年前の記憶なので間違っていても勘弁を...)
朝の通学通勤、朝の買い物、昼の帰り、夕方の帰宅(みたいな4,5本くらいあったそうな)
終わり
最後に一言だけ残しておきます。これはあくまでも過去の記憶をできるだけなくさないように残すことが目的なので、正確性は担保しにくいです。しかし、自分の記憶の中でできるだけ正確に残せるようには努力したつもりです。何か間違いがあれば優しく教えてくださるとうれしいです。
あとこれからの白峰までの路線がどうなるか気になります...金沢駅から白山比咩神社までバスで来る人たちもいますし、帰りのことも考えると...
ではまたTwitterなどで会いましょう。長文となりましたが読んでくださりありがとうございました。